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緑の山里に、色彩豊かな花壇をつくる(大豊町)

  • 2021年8月3日

中岡 邦夫(なかおかくにお)さん

高知県出身。幼少期から中学生までは公務員の父親の仕事の関係で高知県内外を転々としながら生活していました。大阪芸術大学を卒業後フォトグラファーの道へ。2014年、ジョブチェンジを考えて地域おこし協力隊に着任。大豊町の庵谷(いおのたに)地区の地域交流をメインに活動していました。現在は大豊町役場所属の集落支援員として、町のイベントの手伝いや清掃、花壇づくりをするほか、美しい自然を写真に残す活動をしています。
http://www.nakaokakunio.com/

中岡 邦夫さんにインタビュー (大豊町)

― 地域おこし協力隊になるつもりはなかった

大豊町は高知市から車で約1時間、四国山地の中央部に位置する山間部の町です。

中岡 邦夫さんが初めてJR土讃線の「大杉」駅に降り立ったときに、大豊町の第一印象は「緑の砂漠」だと感じたそうです。駅の改札を降りると、目の前にも、そして背後にも深い緑の山並みが続きます。

「『この緑いっぱいの場所に、カラフルな花を植えてコントラストのある景色が見られたら綺麗だろうなぁ』とインスピレーションが湧いてきました」と当時を振り返る中岡さん。

このときにぼんやりと感じた想いは、地域おこし協力隊に着任した後に実現する花壇づくりのきっかけになりました。まさかこの後すぐに実現できるとは、このときは微塵にも思わないことでしたが。

実は中岡さん、フリーランスのフォトグラファーからのジョブチェンジで地域おこし協力隊になりました。地域おこし協力隊について知ったのは、2012年に放送されたドラマ「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」を見たのがきっかけ。このドラマは高知県四万十市の地域おこし協力隊が主人公で、縁もゆかりもない土地に引っ越してきて、協力隊として地域の人との交流が深まっていくところに魅力を感じたのだそう。

しかしながら、当初は地域おこし協力隊になることは断ろうと思っていたとか。それでも大豊町の担当者と電話を重ね、「町の魅力を都会にいた人から発信してほしい」と熱意たっぷりに言われて面接を受けに来てみると、中岡さんが生活できる住宅は用意され、すぐにでも受け入れてくれる体制が整っていたことに感激して心が揺らぎました。さらに担当者はこう言います。

「中岡さん、もちろん大豊町の写真を撮ってもらえますよね?」

この一言を聞き、自分のライフワークが活かせる仕事に就けることで中岡さんは協力隊員になることを決意。東京で31年間暮らしていた中岡さんの第二の人生が始まります。

― 大豊町のPR作戦が功を奏し、あのテレビ番組に登場!

中岡さんが長年マスコミ業界にいた経験は、大豊町のPRに大きく貢献しました。地域おこし協力隊になってからは「大豊町を全国放送のテレビに出演させる」ことを目標として、積極的に広報活動を実施。

大豊町のなかでもちょっと変わったモノに焦点を当てた冊子をつくって、都会の人の目を引く新たな魅力創出に奮闘しました。冊子の名前は『大豊町非公認 なんじゃ?こりゃ!!遺産』です。大豊町の珍百景を独自のユニークな切り口で特集して、道の駅などに配布。全18号まで制作しました。

『大豊町非公認 なんじゃ?こりゃ!!遺産』のパンフレットの一部。中岡さんが企画・撮影・制作・コピーライティングとすべて手掛けました

このパンフレットをテレビ朝日の「ナニコレ珍百景」の事務局に送ったところ、見事に採用。有名タレントが取材にくるなど、全国的に注目を浴びる機会を得ることができました。これが皮切りとなって、NHK BS、テレビ東京でも大豊町に取材班が来る機会を得ていきました。

「大豊町は高知県のローカル番組に出ることは多いのですが、全国放送となると別です。無事に目標達成できてよかった。これからも、もっとPRできるといいと思っています」と中岡さんはにっこり。

こういったマスコミ向けのPR活動をしていた傍ら、自分の作品を撮影する活動も継続。愛用のデジタルカメラを持って、大豊町の豊かな自然を撮影しては海外のコンテストに応募を続けています。「いい写真が撮れたときはうれしいですね。大豊町の山に霧がかかるときは水墨画みたいに奥行きが出て、なんとも言えない幻想的な雰囲気がいいんです」と、中岡さんは話します。

中岡さんの作品一例

また、協力隊の着任中は庵谷地区にある公民館を活用した「せせらぎ庵」で、田舎暮らしの体験イベントをお手伝い。山菜取りやゆず狩り、ピザ焼きなどがあり、イベントのチラシをつくって高知市内に配布したり、写真を撮影したりと、忙しい毎日を過ごしていました。

中岡さんが携わったイベント。チラシ作りも担当しました。

春夏秋冬、大豊町を花いっぱいに彩る

協力隊を卒業した現在は、大豊町の役場に勤務して「集落支援員」として活動しています。仕事の内容は、地域情報の発信、町内の清掃や草刈り、大豊町にある棚田のお手入れなど、町の美化活動に励む毎日です。

「ここでの仕事は、自分でやりたいことを見つけて取り組みます。役場の人たちからのあれやこれやと言われることは一切ないです。自分で取り組むことを見つけて行動に移すので、長年フリーランスでやってきた私にとっては居心地がいいですよ」と中岡さん。

そうそう、大豊町に来た初日に感じた「緑のなかに花を植えて町に色彩をつけたい」という夢も実現しました。
重要文化財旧立川番所書院(※1)にヒマワリを植えて、真夏の大豊町を彩りました。また、今年は朝顔を植えました。いつの日からか、花づくりは地域の方が手伝ってくれるようになり、そこから小さなコミュニティが生まれました。

次なる目標は、ご夫婦がお手入れされている「夢来里(※2)」です。すでにヒマワリが植えられているので、その花々との共演が楽しめるようにコスモスを植えるのだとか。こうやって大豊町を彩り豊かにする計画は着々と進んでいます。

「自分が黙々と取り組んだことで、地域のつながりができて、皆さんが喜んでくれるのがやりがいです」と中岡さんは話します。

また、清掃活動も地域のために取り組んでいます。ある地区では、側溝に土砂が溜まっていたため、3日かけて泥を掻きだす作業をしました。その後は、区長さんが中心となり地域の人たちで掃除ができるようにバトンタッチができました。最初は1人で取り組んでいた町の清掃活動でしたが、今では少しずつその輪が広がっています。

「道路を掃除しているとジュースやパンを差し入れてもらうこともよくあります。通り過ぎたのにわざわざ引き返してきたと思ったら、コーヒーを買ってきてくれたことも。こうやって町の人たちに受け入れてもらっていることが実感できます」。

※1 立川番所は土佐路最後の藩主の宿所。参勤交代の本陣として重要視され、土佐三大番所の一つです。
※2 耕作放棄地を開拓した庭園。ギャラリーや古民家を改装した接待場所もあります。

― 挨拶からはじまる地域のコミュニケーション

最後に、これからの隊員になる人に向けてのお話を聞きました。中岡さんのように地域の人たちと仲良くなるための秘訣はなんでしょうか?

「この場所に長く暮らすためには信頼関係が大切です。こちらが信頼していてもお相手が信頼してくれるかどうかがポイントですよね。そのためにまずは自分から挨拶をする。笑顔で挨拶をすることで、私の存在を覚えてもらって次第に仲良くなっていきました」と中岡さんは教えてくれました。

休日にランニングをするときも、挨拶は欠かせません。初めてすれ違う人もそうでない人も、挨拶からすべてのコミュニケーションがはじまります。

「挨拶されて嫌な気分になる人なんていませんから、もしも気が付いてもらえなかったとしてもニコっと笑いながら挨拶をし続けることです。私がここへ来たときからずっと続けていることなんですよ」。

写真撮影・コピーライティング・制作とすべて中岡さんが手がけたポスター